女王の教室6

 結局すぐ書きに来ました。一貫性のない人間ですね。私。
 さっそく感想ですが、ちょっと陳腐になってきて悲しいです。以下、文句ばっかり書きます。
 構図という表現でいいのか分かりませんが(カット割というやつかもしれん)映像について。ゴシックホラーみたいな美しい空気だったのが、回を重ねるにつれて「とりあえず青っぽくしとけ」みたいな適当さが(勝手に)感じられてきて切ないです。あと、小道具のリアリティ(生活臭とか、そういうのの表現)が甘くなってる気がして悲しい。
 進藤さんちの家庭の事情について説明台詞がだらーっと続くのも、見ててだるかった。これはまぁ、和美の可能性に期待してマヤがあえて喋ったという意味があるんかもしれん(マヤ本当は善人説をとるならば)。天童への説教はまるでお局様の僻みのようだった(そういう意図がないのは分かっておりますが)。和美はともかく(いつもだから)、クサい台詞が多めで個人的に嫌だった。「ドラマの台詞を喋ってます!」と言わんばかりの台詞まわしは、このドラマっぽくない。もっと自然体の台詞をぷりーず(マヤはどっちかというとマンガだ)。
 アレで親が夏休み無しに納得するのも、アレで生徒たちが改心するのも、うさんくさい。軽業師のごとくに机の上にヒラリと上るのもよくわからん。小学生ってあんなんだっけ?馬場ちゃんのストーカーっぷりもよくわからん。保健の先生はいないの?夏休みだから?
 もうちょっとマシなこと書きます。本来、物語の構図としては「マヤvs生徒たち」が根っこにあって、それを和美の視点から描いているわけです。
 その対立の構図からいくと、マヤの異質さを際立たせる意味でも、生徒には、より平平凡凡としたキャラクタ性をもたせて、対比をさせてしかるべきなのではないかなぁと。キャラを立てすぎたら不味いということです。
 その観点でいうと(和美とユウスケはともかく)進藤さんのポジションが描く上でむずかしーところですね。別にみんなに複雑な背景があってもかまわんのですが、それは作品内で(一話まるまる使って)語るべきではないような気がするのです。
 それをされたので陳腐に感じたのかもしれんです。自己分析。