悪魔といびつな橋を渡る(本文と関係ない)

注:無価値。読まないほうがいいよ。
 朝食を取りながらTVをつけると、「情報ツウ」の「おみくじタマゴ」のコーナーが放送されていた。トークのゲストは松本伊代だったと思うが、とりあえずそのへんはどうでもいい。
 「おみくじタマゴ」のコーナーに出てくるキャラクタが変わっていたのである。
 以前は巻物を持ったカモノハシのキャラクタが語尾に「〜でゴザル」をつけていた記憶があるのだが、今日見たキャラクタは鉄塔に顔のついたようなものであった。下に名前が書いてあったように思うが記憶していない。声は同じだったように思う。カモノハシのほうも名前は知らない。
 「おみくじタマゴ」は4色の卵(白・赤・青・黄)からひとつを選び、それによって今日の運勢(吉凶・開運の方法など)を占うというコーナーである。そもそも何故卵なのか、何故白・赤・青・黄の4色なのか、何故それを選ぶことで吉凶から開運の方法まで分かるのかなどについては一切の説明がないのである。しかし、確かこのコーナーが始まった頃は「風水その他いろいろな占術を応用して作られた」という意味のことを言っていたように思う(あまり自信はない)。今でも言っているかどうかも知らない。そもそもおみくじタマゴに興味はないのである(身も蓋もない発言)。
 では私はなぜおみくじタマゴについて書いているのか。見たもの、感じたものをそのまま表現するという日記というシステムを重視したから、ではない。キャラクタが変わったことを面白おかしく書くことでネタを提供したかったから、でもない。色のついた卵を選ぶという方式のくだらなさを語りたかったから、ですらない。特に何も考えていないのである(さらに身も蓋もない発言)。
 中身などなくとも文章は書けるという見本のようなこの文章にこそ、物事の本質というものは宿るのかもしれない。我々はその本質を忘れて効率化と儀礼化の狭間でゆれうごく振り子のような存在であり、無限に繰り返される生産と消費の幻想に溺れたままであるから、虚無と絶望の絶対的支配から逃れられないのではないだろうか。
(電波文のれんしゅうノート。)