脳を鍛えるその前に(ネタがとっても古い)

「おとといの晩御飯、思い出せるようになりましたか?」
とかいう言葉に対して、我々は違和感を覚えたほうがよい。
脳が鍛えられた結果としておとといの晩御飯が思い出せるようになったからといってどうだというのか。おとといの晩御飯が思い出せるからどうなのだ。思い出せないからどうなのだ。それが本質的な賢さにどうつながるのか。
頭の回転をよくするのが悪いとは思わないけれど、目的を失った状態ならば、たとえ頭の回転がはやくとも、決して賢くなんてないはず。
(楽しいから脳を鍛える、という選択肢はべつに否定しないけれど。)
「おとといの晩御飯、思い出せるようになりましたか?」
結局このCMで使われているコピーが問題なのではないだろうか。おとといの晩御飯を思い出せるようになりたいから脳を鍛えている、なんて人間はほとんどいないのではないだろうか。何より、このコピーを聞いて脳を鍛える気になる人間がいるのだろうか。いるのだとして、その人に足りないものはトレーニングで補えるのだろうか。よく分からない。
脳を鍛えるゲームをやって、おとといの晩御飯を思い出せるようになりました! やった!脳が鍛えられた! などと喜んでいる人には、何か別のトレーニングが必要な気がする。