わかげのいたり

 高校のときの話である。
 「ごみ箱」と「ごみ置き場」のちがいとは何だろうか。答えは簡単である。箱状であるか否か、その一点である。
 なお、筒状だろうが籠状だろうが、ひとくくりでごみ箱としておく。
 では何故、ごみ箱は箱状であるのか。答えは簡単である。その中にごみを捨てることで、回収が容易になるからである。ごみ置き場の地面に捨てられたごみは、収集するおっさんだかおばさんだかが「どっこいしょ」とか「よっこいしょーいち」だとか言いながら、腰をかがめて回収しなければならないが、ごみ箱であればその苦労が若干やわらぐ。そのための箱状なのである。
 なお、中が見えないほうが環境が綺麗に見えるから、という答えは無視する。
 では、別におっさんだかおばさんだかが「どっこいしょ」だか「よっこいしょーいち」だか言って腰をかがめようがどうでもいい場合はどうだろうか。答えは簡単である。ごみ箱のわきにごみを捨ててもいいのである。「ごみはちゃんと所定の位置に捨てるぜ」という道徳的な意識と「仕事なんだから腰の負担くらい我慢しやがれ」という反抗期エナジーが融合したそのときには、ごみ箱のわきにごみを捨ててもいいのである。
 だから、自転車に乗ったまま空き缶をくずかごに投げ入れ、失敗してくずかごの周囲に落ちたとしても、何ら問題はないのである。
 などと、自分の投擲能力の低さを棚に上げて、自己正当化のための屁理屈をこねまわしていましたとさ。めでたしめでたし。
 みなさんはちゃんとごみはごみ箱へ。