社交ブログ

昨日の話なのだが、会社の女性事務員から聞いた話。
その人の長男の通う塾ではメールとTVゲームは禁止なんだそうだ。それだけ聞いただけでぼくは「宗教みたいな塾だなぁ」と思った。唐突にそう思った。
「TVゲーム、とくにACTやSTGばっかりやっていると、考えるより前にボタンを押すから、深く考えない子になる」というのが塾のカリスマ講師の主張なんだそうだ。ぼくはいわゆる「脳を鍛えるゲーム」の類はどうなんだろうと思った。深く考える賢さと、瞬間的に最適な解を見つける賢さは別ものとしてあるんじゃないのかなとも思った。
「オカルトじゃないですか。科学的根拠ないですよそれ」と言ったら「いや、科学的にそうなんだって。TVでも言ってたよ」と言われた。ぼくはTVをダラダラ見て、それを鵜呑みにすれば賢くなれるのかなぁと思った。ぼくは賢くなりたいなぁと思った。
むろん、ここで顔を真っ赤にして「TVゲームは悪くないんだい!」という主張をすることもできるのだけれど、それをしても「TVゲームばっかりやって育った自分への肯定」以上のものにはならない(あるいはそれ以上のものとは見てもらえない)ことが容易に理解できたので、とりあえず「バカの壁の著者はゲーマーだよ」とか「『一日2時間以上ゲームをする人間は、ゲームをしない人間に比べて成績が低い』なんてのは要するに『時間を大切にしようね』ということで、ゲームじゃなくて他の趣味でも一緒だよ」とか「『賢い=学校でよい点数を取る』だとすればそりゃ勉強したほうがいいんだろうけれど、本当の賢さはそれが全てじゃないと思うよ」とか「『科学的』であることと科学『的』であることはぜんぜん違うよ」とか「ゲーム脳論文はツッコミどころが満載だよ」とか「信じたい言説を信じるために理論『的』なもので補強をする宗教臭さ」についてとか頭に沸いたあれやこれは全てしまいこんでぼくは皇族のごとき柔らかい笑顔で「受験生、大変ですね」みたいなことを言った。
そしてその後、ひとりで書庫の保管期限切れ伝票をゴミ袋につめながら「仮に『TVゲームばっかりやってるとゲーム脳というダメな脳になる』というのが真実だったならば」というようなことを考えた。たぶんぼくはそれでもゲームをやるし、自分の息子がやりたがったらゲームをやらせるだろうな、と思った。そしてどうでもよくなった。眠くなった。