悲しくも晴れやかな悟り(であるかどうかは分からないけれど)

ある日とつぜん悟った。
わし、もうモテないわ。たぶん一生。そして、それでいいかもわからん。
ここ数年、こんなわしに彼女がいた奇跡を反芻する毎日を送ってきたけれど、そんなもんいらないかもしれない気がしてきた。
ぼくは愛するのが面倒なくせに愛されたがりというどうしようもない人間だったのだけれど、面倒がらずにひとを愛せるようになるよりも、愛されることを求めないほうがずっと自分らしく、楽ちんに生きられるような気がしてきた。
別に愛し愛されることをあきらめたわけではない。「もう(恋愛なんて)無理だ…」という溜息をやせ我慢の小理屈で薄めているのではなくて、「あ、もしかしたら要らないかもしれない」というレベルで肩の荷がおりた感覚。
モテるためでもヤるためでもいいけど、そのためにマメな人間やそのために時間や労力を割ける人間を限りなく尊敬しつつ、わしはその土俵には上がらないことにした。積極的にひとりでいることにする。社会的引きこもり上等。
結局、わしの居場所はわしの家、わしの部屋にしかなくて、わしから誰かにアプローチなんてもうしない。そのほうがきっとしあわせなんだよ。そういうことに強く思い当たった。あのころはとってもとってもしあわせだったけれど、あれはほんとうのわしではなかったように思えるのだった。
何が言いたいのかさっぱりわからないが、わしは25にもなってもうこりゃ死を待つ存在になりつつあるね。