日記か何か

なんとなく己のダイアリのプロフィールを読み返してみたら日記を書いた日数が400日キッカリであったため、多少おどろいた。
ぼくは今、己の中に宿りし「怠惰をこよなく愛する何者か」と対峙する必要性を強く感じており、そのために何をなすべきか、何をせぬべきかについて答えの出ない問いかけを続けている。
ほんとうは、答えは出ているのだ。しかも2つ。「怠惰をこよなく愛する何者か」が最も忌み嫌う答えと、「怠惰をこよなく愛する何者か」が最も愛する答えの2つである。
ぼくは400日、いや、それ以上の日数をかけてこの2つを天秤にかけながらあーでもないこーでもないを繰り返してきただけなのだ。そしてこれからもそうする。そうであってはならぬのだけれど、そうであってしまうのだろう。400日だけアグレッシブな自分が手に入ったならば、ぼくは今よりもしあわせなのだろうか。
よくわからない日々は続くくせに、自分は不変であることを喜び、自分は不変であることに怒り、自分は不変であることなどまやかしであることを悟り、隠し、ごまかし、自分をだまして毎日を送っていても何も意味はないのだけれど、それはそれなのか。どれはどれなのか。
8時起床→朝食→2度寝→昼食→たかじん→部屋の掃除→Wiiスポーツ→ネット→夕食→ネット→NOW
くだらない日々は続く。くだらないのはだれのせいなのだ? 知っているけれど白々しく天にむかって問いかける。
もはや死んだとて治るものでもあるまい。何がどうこじれてぼくはこうなのだ。なぜ何かを楽しめないのだ。ばか。