逆デッドライジングの話

デッドライジングというゲームが好きです。
ゾンビと頭のおかしい人だらけのショッピングモールで、3日間 生き残るゲームです。
ゾンビの数は、混雑した繁華街の客が自分以外全部ゾンビになったのを想像してもらえれば遠くないくらいうじゃうじゃいます。
何の話がしたいのかというと、ぼくはひとりで繁華街にお買い物に行くわけです。しかし、あまりの人ごみにウンザリすることがよくあるわけです。その多くが友人同士、カップル、親子連れであり、強く強く孤独を感じて、相当に凹んで帰ってくるわけです。よれよれです。
んで、思ったのは、これは逆デッドライジングなのだと。周囲がみんないきいきとショッピングを楽しんでいる中で、ぼくはひとり半分死んだ表情でフラフラと町を歩いているわけです。そして、そんな現状に心底ウンザリしているわけです。
(じゃあひきこもれよという話ではあるのですが、ぼくだって何とかしたいのです。)
だからこそ、ぼくにとっての立場の逆転というか、周囲が全て半分死んでいて、自分は自由にはっちゃけられるデッドライジングが楽しいのではないか。そう思わないではないのですが、これって突き詰めたら殺戮ゲーム→リアル銃乱射みたいな流れなので困る。
何か鬱々した内容だね。あぁやだやだ。