ゲス野郎ブロガーとしての本領でも発揮してみるか

むかし、鬱の女性とつきあってた。
そして、ぼくも鬱だった。
同棲めいたことをしてた。
ふたりで大学こわいよーみんなこわいよー何もしたくないよー言いながら、傷を舐めあうような毎日を送ってた。
暗くて、重くて、けだるくて、何も得られない毎日だったけれど、ふたりにはそれしかなかった。少なくとも、ふたりはそう信じてた。
あるきっかけで同棲は解消され、彼女は地元へ帰り、ぼくは引っ越した。
ぼくはそのとき、少なからず「解放された」と感じた。もうこんな生き方は終わりにすべきだ。そう思って、少しいろいろ頑張ろうと思った。
彼女から、たまに携帯電話に着信があり、ぼくがかけなおすと、彼女は長々と、そして鬱々と喋った。彼女の着信はいつも短い。
ぼくは「変わろう」と思っていたから、彼女の変わらなさにうんざりしてしまって、相当ひどいことを言った。遠距離の電話代をこちらが払って、聞いてるだけでいらいらする話を、やさしくやさしく聞いてあげられる余裕が、ぼくにはなかった。
彼女は泣いて謝って、それからぱったりと電話はなくなった。
その後、ぼくはこれまでの人生で最良のいち期間をすごし、思い出しても手が震えるような最低のいち期間をすごし、はんぶん死んだように生きながら大学を卒業し、地元に帰った。
大学を出るのに、人より2年半ほど余計にかかった。理由を聞かれて、馬鹿正直に「鬱でした」と答えた。就職が決まらなくて、落ち込み鬱にハマり、悪循環になってた。
ある日、彼女はぼくと入れ違いに大学に戻ったらしく、卒業が決まったときにメールをくれた。どうしてもお礼が言いたかったそうだ。
ぼくは返事を書いた。
『ぼくは今、「仕事が決まらないのはあなたといた数年間のせいだ」と本気で思えてしまうくらいには最低なので、どうか早く見限ってください。』
ぼく自身のダメさを棚に上げて、すべてを彼女のせいにして、そうしないと生きていけないくらい弱い自分が情けないけど、そうせざるをえなかった。
そのあと受けた面接で、空白期間について「当時の恋人が鬱になって…」と説明した。受かった。
彼女を恨んではいない。けど、彼女のせいにすることで、何とか生きている自分というものが、今ここにいて、それがつらい。彼女はもっとつらかっただろうに、それを理解できていなかった自分が今になってつらい。
彼女が今どこで何をしているかは全くわからないけれど、つらいことがたくさんあったぶん、しあわせになっていてほしい。
支えきれなくなったら手を離してしまうのが分かっているから、もう持つべきではないのだけれど。
それでもなお、どこかの誰かに、無限大に許容されることと、どこかの誰かを有限に許容することを望んでしまう自分がイヤだ。すごくすごくイヤだ。
(匿名ダイアリのほうに書こうと思ったけど、むしろここに書くべきかなと思いなおした)