ポジティヴだの努力だのについて(本気度は10段階評価で2くらい。10=バリ本気で0=言ってみただけとする。)
人はおもしろいから笑うのだけれど、笑っていればおもしろくなるというのも心理学か何か的には確かなんだっけか。激しく曖昧。
人はがんばるから成功するというけれども、成功体験があればこそ がんばりは持続するんだよ。
人はポジティヴでいれば幸せになれるというけれども、幸せが得られたからこそ、ポジティヴでいられるんだよ。
表現が似てるだけで笑いのくだりとは無関係だけど。
- がんばる→成功する→またがんばろう。
- というよい流れに乗るまでには、しばらくのあいだ
- がんばる→失敗する→がんばってるんだ、そのうち成功するさ。
- というつまんねー繰り返しがあるはずなんだけどな。
いちどよい流れに乗ってしまえば、それらは過去の美しい思い出になってしまうのな。成功体験を強化しまくって、失敗は弱化しまくってしまうのな。
- ポジティヴでいる→いいことがある→よし、これからもポジティヴでいよう
- ポジティヴでいる→いやな目にあう→こういうときこそポジティヴでいなくちゃ。よぉし、負けないぞ。
こんな感じでな。ポジティヴでいるよ、がんばるよ、というのを常に意識しておくことが、ツキか何かを呼ぶ呪(まじな)いになってるということさな。
逆の例だとこうなるよ、というのを以下に書く。
- なまける→失敗する→まぁ、そりゃそうだよな。なまけてたからな(もしがんばってたらできたんだけどな)。
- なまける→成功する→おお、すげー。まぐれでできちゃったよ(おれって実は天才?)。
ほら、こっちのが自然だし理性的。ただし()の中のルートに入ってしまうと、だいぶ不毛。
- ネガティヴでいる→いやな目にあう→いやな目にあったなぁと思う。何も変わらない。
- ネガティヴでいる→いいことがある→いいことがあったなぁと思う。何も変わらない。
ほ、ほら、こっちのが自然だし理性的(…)。
つまり人間は怠惰でネガティヴでいるのが自然体なのであって、努力しようとかポジティヴであろうという心持ちは、意識していないと維持できない不自然なものなのである。ちょっと気を抜くとだらけちゃうし、くよくよしちゃうんだよ。
よって、ナチュラリストは怠惰でネガティヴであらねばならないとかいうかなり関係ない結論を出してフェイント。
とりあえず、そこいらのえらいブロガーの人が言ってるみたいに、やっぱ宗教みたいな話なんだよ。心のヤスラギ、ヨリドコロ的な話なの。たぶんね。
宗教ぽいからよいんだか悪いんだかはどうでもいいけど、まぁがんばったら「絶対に」よい結果が出るわけではないわな。ポジティヴでいれば「絶対に」よいことがおこるわけではないわな。でも自己暗示でキモチイイならそれでいいんじゃない?どうでも。人にゴリ押すようなもんでもないとは思うけどー。ねむい。
でもこの論調(って、まるで論理的ではないが)だと「真に合理的な人は怠惰でネガティヴである」みたいな空気だからアレですね。ねむい。ねむいねむいねむい。