桝田さんの話

 http://www.linda3.co.jp/column/sub.14.29.html
 尊敬してやまないゲームデザイナー、桝田省治さんの会社MARSのコラムより。
 桝田さんのゲームのキモは「テキスト」と「パラメータ」の設定の妙でもって、おもしろそうな要素(テーマにあたる部分)を「疑似体感」させるところにあると、そう思うのですよ。
 「狩猟本能」というところから組み立てて、「リンダキューブ」を作ってみたり、
 「世代交代」というところから組み立てて、「オレの屍を越えてゆけ」を作ったり。
 (「わが竜を見よ」は「生き物を飼い、育てる大変さ」というテーマと設定がうまくかみ合ってなかったと思う。どっちも半端な印象。)
 んで、このコラムの企画は「自分の葬式が見てみたい」だそうです。うん。興味ある。たぶん出たら買うと思う。
 ただ、私がゲームメーカーだったら、この企画は買わないと思う。PS2が出る前だったら考えただろうけれど。
 なぜなら、流行らないから。最初に書いたとおり、桝田さんはテキストと数字の人だと思うのよ。その要素についてはトップレベルだと思う。でも、いまどきそういうの流行らないのよ。たぶん。
 それをユーザーが求めていない、ということではなくて、ゲーム機を作ってる会社が求めてないんだと思うけどね。
 高度な処理ができるマシンでもって、ど派手な演出がバンバン炸裂する、映画みたいな過剰で、宣伝しやすいのが好まれてる(ユーザーに、ではないと信じたい)みたいだから、企画を買ってもらえないんじゃないかなぁ、といういらぬ心配をしている。
 「リンダキューブ」と同じく狩猟を題材にしても、今なら「モンスターハンター」が作れてしまうわけです(極論なのは百も承知。詭弁であっても分かりやすさを重視してみた)。村人の台詞やパラメータの上下なんかより、でかい竜がガオーと襲ってきたほうが分かりやすい。
 ユーザーの想像力に頼らなくてもよくなった、とも言えるし、頼るわけにいかなくなった、とも言えるんだろうけど。
 毒を吐くなら、桝田さんのゲームデザインの全てが、時代の流れからすると終わってきてるんかもしれん。などと残念な気持ちになる。
 誰がそれを望んでいるのか、という疑問は解決しないけれど、目新しさが求められ続けてる。んで、昔のゲームの良さの一部は否定されているわけですな。
 桝田ゲーが小説なら、今のゲームは映画って感じかな。なんか違うけど、そういうイメージ。