ゲームの話1
「ワンダと巨像」が気になり始める。これが恋なのかしら(やれやれだぜ)。調べてゆくと「ICO」にたどりつく。自分が「モンスターハンター」に感じていたものと同じものが、これら(ワンダとICO)にはある。ゲームの処理能力とはこういう表現のためにあるべきものだ。過剰装飾や、たいくつなムービーのためにあるものではない。
疑似体感の楽しさ、ごっこ遊びの楽しさが根っこにあるのかもしれん。
昔のゲームはそれを文字や数字で表すしかなかった。だからこそ、そこには広がりがあって、残りの全ては妄想で埋めることができた。
最新のゲーム機は妄想で埋めていた全てを補間してくれる。「映画みたいなゲーム」という表現はチープかつ陳腐だけれど、「プレイすること」ができる映画としてならば、この進歩は肯定すべきものだ。そう感じた。
もうちょい要約すると、いわゆる次世代機競争について否定的だったが、多少は考えを改めたということでもある。