ふにやふにや(ぐだぐだ思考)

 あなたが「ゲーム性が高い」と思うゲームを5つあげ、どのような点に対して「ゲーム性が高い」と思った(感じた)のかを、作品ごとに、簡単にでかまいませんので説明をしてください。【回答例】 ●作品名1: → 〜説明〜 ●作品名2: → 〜説明〜 ●作品名3: → 〜説明〜 ●作品名4: → 〜説明〜 ●作品名5: → 〜説明〜
 答えてみた。語彙に乏しいのに必死なのってみっともねぇなぁ、という自己嫌悪もある。
 んー、ゲームって結局、自己満足ツールだと思うのですよね。対戦とか、人とやるものはとりあえずおいておくとして。
 ゲームがうまくなったりゲームの中で強くなったりゲームをプレイして楽しかったりすることは、何だかんだいってマボロシなんですもの。
 だけどそれが楽しい、キモチイイということがゲームのすごいとこ重要なとこなんじゃなかんべぇか、と考えちょるのだね、わたしゃ。これ1つめの要点。
 でもそれだけだと映画なり何なりでも同じだなぁ。じゃ何が違うの?つーたら「自分の意志に基づいて展開する」ということだわな。インタラクティブ?だか何だか、そういうのだ。だからこれも大事。これ2つめの要点。
 んで、その2つから「ヴァーチャル」つー古臭い言葉を思い出してしまったと、それだけのことだね。
 だからゲームの楽しさなんてのは結局錯覚で(そして錯覚でいいんだけど)、うまく錯覚させるための手段として、ゲームらしい手法が用いられていること、その程度こそがゲーム性の高低なのかなぁと思うた次第。
 ゲームらしい手法、というのはつまりプレイさせる、ということだわな(かなりわかりにくいね)。ダラダラしたムービーを見せるだけとかダラダラした文章を読ませるだけにならないことや、「プレイさせられてる」感を与えさせない工夫なんかだと思うたりしたよ。
 得られる疑似的な感情そのものではなくて、その感情をうまく喚起させられるゲーム的表現の巧みさが、ゲーム性の正体なのかなぁ、と。思うた。
 「どういう感情を喚起させるか」という部分から組み立てる必要はとくにないので、「結果としてこういうことが楽しいゲームになった」というのも正しいとは思う。昔のゲームはそういうのも多いだろうし。
 なぁんかまとまりが悪いやね。飽きたからやめちゃうけど。