ぼくとじいちゃんといいともの客

 工場でパートのおじいちゃんの他愛のない昔話を聞きながらたくさん「そうですね」といった。今日こんなに「そうですね」といったのはぼく以外には「いいとも」の客くらいのものだろう。そう思った。
 いや、おじいちゃんの話は少なくとも「いいとも」よりは面白かったものと思われるし、別に工場のパートのじいちゃん批判の意図もいいとも批判の意図もない(「いとも」と「いいとも」で韻を踏む意図はあった)。問題は「いいとも」の客のごとく「そうですね」を連呼せざるを得ない己の所謂コムニケーソン能力の耐えがたき低さであるのだ。
 しかし世界には希望があふれている。ぼくはそう信じている。唐突にきれいごとで締めくくることでポジティブな日記をアピール。ねむい。