えろに関する話

 んー、読んだら引くかも。こういうこと書いちゃう人間であるところのsuzukisuzukiに。
 ぼくも男性として人並みかそれ以上くらいには助平なのだとは思うのですけれども、最近は何だか食傷気味というか、「えろいのって気持ち悪いなぁ」とか思うのです。
 未成年のお嬢さんが児ポ法に触れないギリギリのえろグラビアを出した、とか聞いて「そういう問題?」と思うのです。未成年のお嬢さんがえろの対象にされること、されているという本人の自覚、それでも法に触れないから商売にしちゃうこと、そのお嬢さんの親は我が娘が未成年のうちから性の商品として扱われる事をどう考えているのか、頭脳がすべてを一度にシミュレートして、うわーとか思うのです。ウワーブラストなのです。
 漫画でもゲームでもアニメでも何でもいいけど、オタク文化に片足突っ込んだ作品はそれがどんな作品でもえろ同人のえじきになって、そのえろ同人で喜ぶ人間もえろ同人を描いて儲ける人間も宣伝につながるし自分たちが怒られるわけじゃないからと放置している企業もみんなみんな気持ち悪いのです。
 ぼくはAV女優とか風俗嬢と呼ばれる職業を別に卑しい仕事だと思わない人間なのだけれど、じゃ、上記のケースとどう違うのか、一体なにが気持ち悪い/気持ち悪くないのか自分でもよくわからなくて、それ自体も気持ち悪いのです。
 大昔のぼくは「愛は性の副産物で、性は種の存続のための手段でしかないので、愛も性もみんなくだらない。そこに文化と呼ばれるものを組み上げる人間は果てなく愚かだ」というパンチの効いた硬派な立場をとっていたのであるが、今のぼくは「まず愛ありき。愛する人とそういうことをして、愛する人と自分の子ができるということに意味がある」という教科書どおりの一般人(それこそ模範解答のごとくに)の立場をとっているっぽい。んで、たぶんおおもとは「性欲」とかいう欲が気持ち悪いんだけど、とくにそれが極端に肥大化していると気持ち悪いんだろーね。世界はすこしずつグロテスクに向かっている。
 いや、ぼくにも人並みかそれ以上の性欲があるんだと思うんだけど、どんなに高まった性欲でも、ぼくは理性(理性なんて上等なもんでもないけどさ)のリミッターが解除されないんじゃないかなと。獣になれない。脳をから回りさせ続けることに己のアイデンティティを求めているんでしょうかねぇ。みたいな。
 落としどころが見えないけど言いたいことは全部言った。性より愛がほしいぜ!愛すべき誰かといちゃいちゃしたいぜ!(キモっ。)