無題

 前にも何度となく書いているけれど、「がんばれ」とか「元気出して」とかいう言葉は、ぼくには「がんばっているように見えないよ」とか「出せばもっと元気出るだろ」と聞こえてしまうのである。発言者がそういう意図を持っていないことくらいは理性的には分かるのだけれど、「手ェ抜くな」と言われているように感じ取ってしまう。自分のセンサーの問題なのだろうし、基本的には我慢するけれど、ピリピリ来ているときにこのような励ましの言葉をもらうと、本当に悲しくなる。ほっといてほしくなる。本当はほっといてほしくなどないはずなのだが。
 だから自分から誰かを励ますのも、躊躇することが多い。「自分にわずかでもかかわりのある人間は皆しあわせでいてほしい」なんて寝言みたいな思いをもって生きている自分ではあるけれど、基本的にはいつも、かける言葉が見つからない。無責任なことだと思う。
 ついさっき「自分にわずかでもかかわりのある人間は皆しあわせでいてほしい」なんて書いたけれど、実はこれ、嘘かもしれない。元気がないときは元気がないなりにゆっくりしたらいいとも思う。ぼくは「好きにしたらいい、やりたいようにしたらいい」と思うのだが、それは「勝手にしろ、わしゃ知らん」という意味ではなくて「ぼくが何をしたらあなたがしあわせになってくれるか分からない。やりたいと思うことをやってみるといいよ。それに思い当たらないなら、ゆっくりするといいよ。してほしいことがあればするよ」というような意味で、どちらにせよ無責任だ。おとこらしくないねぇ。
 ともかく、ぼくは友達のいないさみしい子なので、自分にわずかでも関わりのある人のプチストーカーなのです。ていうか、関わりのあった人のダイアリが止まったり閉鎖したり不調だったりしまくりで。うぬぬぬって感じ。