激しくおとなしい日常

会社の、とある40前くらいの女性事務員さんが「鏡の法則」という本がどうとか言っていて、あぁあのはてブでちょっぴり話題になった、9割だか8割だかの人が泣くのだか感動するのだかするという触れ込みのアレか、と思うと同時にネットで読んだ文章ではちっとも感動できなかったし、どことない胡散臭さだけが印象に残ったのだったなぁということを思ったのだけれど、何も言わずにいたら今度は「捨てるほど幸福がどうのこうの」とかいうタイトルの本の話をしだした。息子の学習塾の説明会でカリスマ講師にすすめられたのだそうだ。それを聞いてぼくにはその本もカリスマ講師も塾さえも胡散臭い宗教的なもののように感じられたのだけれど何も言わずにいたら、彼女は本屋を何軒か回ったがその本が手に入らなかったので、見かけたら買っておいてほしいと言ってきたのであった。ぼくは「そのような胡散臭い本を苦々しい表情で買う自分」を想像して心底うんざりしながら「はぁ」みたいなあいまいな返事をしたのだが、最終的には彼女が「今日も本屋を回るので、2人とも同じ本を買うといけないので携帯電話の番号を教えてほしい」という意味のことを言ってきて、ぼくは今日にもその胡散臭い本を買うために本屋に行くことにされているのかーと思いながら、番号を教えた。
そして仕事が終わりまっすぐ帰宅してメシ食って自室でゆったりしていたら電話がかかってきて「○○(書店名)の××(地名)店にはなかったけど△△店にはあるそうだから取り置きしてもらった」と言われた。だからもうその本買っておいてくれなくていいよー、というようなことも言われた。
ぼくは心の底から「そうですか」と思った。そりゃあもう心の底から「そうですか」と思った。
別に誰が正しいとか誰が間違っているとかいうことではなく、この「通じ合わなさ」は何なのだろうというような思いがあって、別に振り回されたわけでもないのに徒労を感じた。ぼくの日常はそういう日常なのである。