多機能化した製品は基本的にいらない

たとえば携帯電話は電話とメールと写真撮影ができればいい。そのかわり安い、とかだったらもっといい。
キャッチコピーは「史上もっともパッとしないケータイ」。
何がいいたいのかといえばタイトルのとおりで、多機能であるということをぼくは愛せないのだという話。何かを買うときに、使わない、または使えない機能を買うのにもお金を払っているのかと思うと、購入を躊躇うことさえある。
この点、Wiiの「チャンネルを買う*1」って発想がすごくステキに感じているのだけれど、理解してもらえるだろうか。使わないものは、いらないのだ。たとえそれが機能という「形のない」ものであっても。ほしいものは自分で選んで、手元に持っておきたい。必要なものだけあればいい。
ケータイの例に戻ってみる。買うときに(サブウェイサンドイッチを注文するみたいに、または無印良品のめがねコーナーみたいに)機能別にオプションを組み合わせて購入できたらいいのになぁと昔から思っている。キッチンタイマーくらいは買ってもいいかなとか思えるが、財布である必要は全くないし、TVを見ようとも思わない。ぼくは社会的ひきこもりだから、ケータイは本当に最小限の機能だけで、安く安く手に入れたいのであった。
世間のケータイ使いまくり層の社交的な紳士淑女はメガマックみたいな機能てんこ盛りケータイを。ぼくはハンバーガーを。そういう自由がケータイやデジタル家電の多くにはないような気がするのよね。
いらないものは、いらない。でも、老人向けみたいなシンプルさってのも少し違うんだよなぁ。

*1:無料のものも含めて