切れ味ゲージとコムニケーソンの話

http://www.pensil.jp/mh/weapon1.htm
例えばこのへんを見ていただいて、武器の説明んとこに赤→橙→黄→緑と並んだバーがあるでしょ? これがモンス夕一ハンターというゲームの「切れ味ゲージ」というやつなんです。
緑がよく斬れる状態。黄色はまぁまぁ、それ以下はほぼ使い物になりません*1黒いとこは除いて、右端がその武器の初期状態。モンスターを狩りまくっていると、だんだん切れ味が落ちていくと、切れ味が落ちていく=左のほうに進んでいく。切れ味が落ちたら研げばいいのですが、まぁそのへんはどうでもいいです。
単純に、赤→橙→黄→緑と並んでいて、武器によってそれぞれの色の幅が違う、という見た目だけ理解してくれたらいいです。
そんで、赤=初対面などの他人*2、橙=顔は知っている他人、黄=知人、緑=友人、みたいな分類だと想像してみる。ゲージの横軸は、人との心理的な距離*3
例えば「ぼくはそれほど親しいと思ってないのに、あいつはぼくに『トモダチだろぉ〜』とか言ってくる」とか
「えっ!いちど一緒にゴハン食べただけなのに、ぼくらって友達なの!?」とか。
そういう意識の差を図にしたら、きっとこの切れ味ゲージみたいになると思ったとかそんな話。大した話ではねぇですよ。
相手との距離感、間合いがはかれないということはコムニケーソン能力が低いってことだろうけど、これが全てではない。いわゆる非コムの話が大好きな論客のみなさんは当たり前のように分かっているのだろうけれど、非コムの分類、それも問題点で分類しないでひとくくりに非コムと言ってると、そこに処方箋にしろ何にしろ、見えてこない気がしたとかそういう話。大した話ではねぇですよ。
ぼくはとりあえずものすごく緑ゲージが狭い。そのぶん黄、橙が異常に長いと思う。たぶん「友達」って言葉を美化しすぎているせいだと思う。

*1:ゲームの流れ上、最終的には緑しか役に立たなくなるし、続編では緑の上に青だの白だのできたのですが、とりあえずおいときます。

*2:別に「赤の他人」というジョークではない。気づいたほうが悪い

*3:「客観性を伴う尺度としての心理的距離」なんて前提がすでに破綻していると言われたら返す言葉もない