ノンカロリー系の飲食物について。

ノンカロリーの飲食物というものが世に出始めたころ、ぼくは
「栄養摂取したくないが味を楽しみたいなんて、人間って馬鹿なんじゃないの?」
と思った。飯を食うというのは本来、栄養を摂取せんと死ぬからであり、味覚というものが人間に備わっているのは、栄養摂取をスムーズに行わせるための、神の見えざる手によるゲームデザインなのだと思っていた。
今でもそれでそんなに間違ってないと思う。指示語が多くて読みにくいね。
ただ、時代は流れ、ノンカロリーは割と普通のことになった。
それに伴い、少し考えを改めた部分もある。
それは、そういう飲食物を作っているメーカーさんについて。
彼らも馬鹿かもしれないが、同時に男前でもあると思うようになった。
本来、飲食という行為がもつ「栄養摂取」という第一義的なジャスティスを『無駄』なものとして切捨て、かつ「味」という介在するだけのハズだったものを最前線に、しかもたったひとりで立たせているのだ。
何が言いたいのか分かりにくいだろうから砕いていう。


ノンカロリーの飲食物ばかりが並んでいたとして、その中から選ばれることを「勝利」だとする。
勝利のために使える武器、つまり客がそれに金を払う理由になるもの、
それが「味」以外にない、そういう戦場なのだ。


たかだか500mlの「味のついた水」に147円を支払う価値はあるのか。
「ある! それだけの『味』を我々は提供しているのだッ!」
そういう男前さについて思う今日この頃。