正しいという宗教

おれは割と、「正しい」ということが好きだ。メンズエッグの人みたいに伊達ワルとか寝言を言う人をちょっと引いて見てしまう。
正しくて控えめで分かりやすいのが好きだ。だから、何か迷ったらそこに立ち戻るようにしたいと思って生きているところがある。
AとBではどちらが正しいか、どちらが控えめか、どちらが分かりやすいか。そういう選び方をしてしまう。
それが失敗だったとして、おれは正しい行いをしたのだからそれでいいじゃないか、とか思うわけで、心は穏やかでいられるというスンポーである。
んでもこれは要するにナグサメであって、ヤスラギであって、ヨリドコロであって、宗教機能なのであるのだよなぁと思うわけで。
だから別におれは無宗教じゃねぇんだよなぁっていう。「正しい教」の信者なんだよなぁっていう。
じゃあ何が正しくて何が正しくないか?っていうところの奥のほうの根っこが、本来は宗教を養分とするところなんだろーけどね。
何かムズカシーこと言おうとして失敗してる感があるけど、書いちゃった手前、このまま公開しとこう。