死ぬわけではないにせよ

 だいぶ前からずっと、生きているのが若干苦痛ではあるのですが、まぁ仕方ないのです。万事がうまくいかないのは過去の自分に責任があるのです。原因も見えています。でも、だからこそ悔しい、という感情もあるのです。タイムマシーンがほしいのです。
「夢があるなら本気でぶつかっていけ(抑制は何も生まない)」とか
「夢がないなら大学の学部はきちんと選んで入れ(法学とか経済学とか、実用学を)」とか
 中年の説教みたいなことを言ってやりたいのです。勘違いが積み重なったあげくのニート風味な我が人生なのです。
 思春期の「業」のようなものですが、私は、自分には才能があると信じて疑いませんでした。今も多少そう思っています。ただ、それを伸ばそうとしなかったし、むしろ抑制しようとしたのです。
 夢にむかって努力することを良しとしなかったのです。才能というものは、己がそれを望むと望まざるとに関わらず、最終的にその才能を発揮しないわけにいかない環境を周囲に作り上げるものだ、というふうに考えていたのです(高校時代に「山月記」に出てくる虎に恐ろしく感情移入したり。)。
 とにかく、そういうツケが今になって回ってきたと思うのです。人脈であったり、切磋琢磨であったり、行動力であったりというものが欠けている今の自分を憎く思うわけです。過去の自分を憎く思うわけです。ここに存在するということそれだけで苦痛であったりするわけです。
 かといって、状況を変える努力をしないでいるのです。ここでこうして愚痴をこぼし、親のスネをむさぼるようにかじり、何やってんだか、とは思うのです。私は、いついつまでも奇跡や運命を待つばかりではどうにもならぬと、言葉でなく全身全霊で悟るべきなのです。たぶん。ぐぅ。