気づき

 自分がそうだと言う気はさらさらないのだけれど、「バカ正直でクソ真面目な人」が生きにくい世の中になったなぁと思う。そのような社会に対して私はいわゆる中二病のような対応をするよりほかなく、真剣10代しゃべり場のごとき空転する情念でもってとりあえずの形でニートを続けることしかできないバカ正直でクソ真面目な彼らに対しては、現在の社会がおこなっているものとは全く異なるケアが必要なのではないかと思うのだが、そこはいかんせん私の程度の低さゆえ、ここに愚痴る以上のことはできないわけである。
 (ここまで書いて何だか酔っ払いの説教のような無価値な文章だと気づいた)
 そもそも人間は完全に理性的であることはできない。それは人間がものを考えるにあたって脳を使う時点で完全に予選落ちなのである。我々はみんな少なからず本能や感覚の歪みによって呪われているのであって、その呪縛の存在を把握したからといってどうにもならないのである。精神を持つ以上、それすなわち精神病なのだろうとか根拠もなく思う。人類みな精神病。多数派を正常ということにしている、それだけのことなんでしょうよ。
 (そうした呪縛を本質としてとらえることが芸術の本分なのは分かっております。)
 (そしてそれを感動や芸術と呼ぶこともまた呪縛なのです。)
 (かなり痛いね。こういうよく分からんこと書くのって。)
 人と話すときに「相手も自分と同程度にものわかりがいいはずだ」という前提でいると、いつもその勝手な期待を裏切られる。相手がバカな場合も、逆の場合もあるけれど。私がドライなのはウェットな世界の存在を知らずに安全地帯から文句を言う生き方(これもいわゆる中二病なのかもわからん)をして結構な歳になってしまったからであって、賢いからではないのだけれど、とりあえず私はドライで、自分が大切だと思うこと以外はすべてを「どうでもいい」と判断する。そういう人間なのであり、それ以上ではないみたいだ(それ以下である可能性は大いにある)。
 本気か冗談か分からん人、とか本音か社交辞令か分からん人、とか言われるが、きっと本気でも冗談でもないのだろうなぁ。興味がないのだから。それが自分に与えられた呪縛なのだろうと思うくらいしかできない(それをどうにかしようという気はない)ので、結局のところどこにいっても居場所はないし異端のままなんだろうと思う。
 こういう実に抽象的でナカミな話は燃えるゴミほどの価値もない(燃えないし)ことは言うまでもないけれど、それが就業その他について実害を及ぼしうるということが実質的な問題であったりするのでごわす(無意味な語尾変化)。脳内シティの魔王の残党が現実世界にも悪影響を及ぼしつつあるということですか。安い子供向けファンタジー映画みたいですね。おわり。
 (こういうタイプの文章はたいてい落としどころが見つからんので適当におわりとか書いて終わらせてしまいます。)
 (みなさまに私のバカが伝染りませんように。愛かなんかをこめて。)