このダイアリについて

「無知蒙昧なぼくら」の「ぼく」はsuzukisuzukiさんなのでしょうが、「ら」とはいったい誰、あるいは誰らなのですか?

このような質問を誰かからいただいたわけでもないのですが、何となしに答えてみます。ええ、暇なのです。よく分かりましたね。
「ぼくら」の「ら」とは、ここを読んで下さっている皆様のことです。つまり「無知蒙昧なぼくら」というタイトルは分かりやすく言いかえるならば「オレたちって本当バカだよなぁ」という意味だということになります。
「お前のつまんねー文章を読んでやっているのにバカ呼ばわりとは何だ!」と憤慨される方もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい。しかし、私はあなたをバカ呼ばわりしたくてこのタイトルをつけたわけではないのです。「無知蒙昧な」という部分を除いて考えてみて下さい。私は、私とあなたを勝手に「ぼくら」とひとくくりにしています。ここにはどんな意味があるのでしょうか。
それは、私がここにくだらない文章を書いている理由と密接な関係を持っています。
私は、自分自身を平平凡凡たる一人のつまらない人間であると考えています。しかしそれと同時に、自分自身を人と全く異なる人間だとも考えています。芸術的な才能であるとか、発想力であるとか、何か定量化しにくい点において、他人よりずっと優れていると考えているのです。
そして、私はこの2つの矛盾した考えを同時に抱え込むことで、人との関係性を構築することが困難な人間のまま、無駄に年齢だけ増えてしまったのです。孤高の天才であり続けられれば、一人なんて苦痛でもなんでもないはずです。身の程をわきまえて生きられれば、自分の周囲の人間を低く見るなんてことはないはずで、そうなればしっかりとした人間関係を構築できていてもおかしくはないはずなのです。そのどちらも完全に許容できないままに、私はネットの中に放り込まれてしまった状態なのです。
つまり、「ぼくら」という表記は私の「おともだちになりたいわ」思考の、きわめて消極的なあらわれであると考えられるのです。「ぼくら」というように、自分と他人をひとくくりにすることで「自分もみんなと同じなのですよ」といって半ば強引に仲間意識を植え付けようとしているのです。
しかし一方で、私は「自分と他人は決して分かり合うことはない」と強く認識しています。その矛盾の強いあらわれとして「無知蒙昧な」という表現がついているのです。「オレたちって本当にバカだよな」となれなれしく近づいておいて、心の底からそう信じているか、と問われれば、そうではないのです。
このような自己矛盾や個人の問題を明確に示したタイトルであると、書きながら考えました。いいかげんに書いた割には、何とはなしに筋が通っているかのような錯覚をさせる胡散臭さのある、おもしろい書き物でした。読んだ方がおもしろいかはよくわからないわけですが。