DSのタイ語のやつについてふたたび

 松しまなな子(漢字がわからないが調べる気もない)さんがニンテンドウDSのタイ語翻訳とかできそうなソフトで、タイの人に名前を聞くCMがありますが、そのCMは結局相手の名前が分からないままに終わってしまうのです。あのソフトがあっても相手の名前ひとつわからないのです。べつになな子さんは悪くないしタイの人も悪くない。
 あのソフトによって名前を聞くことはできたが、その名前は聞き取りにくく覚えにくかった、終わり。これがコミュニケーションツールのあるべき姿なのだろうか?
 そして商品の無能さをアピールするようなCMだということに気づく人ばかりではないというこの世界の現実が、ぼくには悲しすぎる。
 というのは嘘です。
 だってこれはゲームソフトなんだぜ? コミュニケーションしたつもりになる、コミュニケーションをとったかのような気持ちになって「楽しかった」というのなら、ゲームとしては優秀なんだって。ゲームってのは楽しむためのものなんだから。あれはガチガチの外国語会話ツールなんかじゃなく、それっぽいおもちゃなんだよ。そして、それでいいんだって。正しいんだって。あぁ気づくのが遅すぎた。
 つまりあのCMから、あのソフトの外国語会話サポートツールとしての無能っぷりを叩いて喜ぶような程度の低い感想しか持ちえない己の愚かさに恥じ入るばかりである。同時に、あのCMを見て、理論的にではなく感覚的に「へー、これあったら海外行った時とか『楽しそう』だなぁ」と思うことができる皆さんの世界の現実こそが正しいことが分かった。
 ぼくは自分で自分を賢いと勘違いしている大馬鹿者だったのだ。自分だけ人より高い世界の住人であると!思い込んでいたのだ!!
 とか仰々しくいうのもアレですが、まぁそんな感じで。ただ自分の名前を何度も口に出して言うのってけっこう不快(サナギさん1巻でもネタになってる)ので、「何度説明しても自分の名前を覚えるどころか理解してもらえない」というシチュエーションにあるタイ人とはけっこう苦痛なんじゃないだろうか。ゲームの楽しさは「誰かを悲しませて手に入れる楽しさ」であってはいけない(そういう要素はゲームの中にあるべきだ)と思うので、やっぱりよくないゲームかもしれない。
 「コミュニケーションした気になる」のは結構だが、タイ人の心の中にわだかまりが残るのではないだろうか。
 砂上の楼閣というか、机上の空論というか、妄想乙というか、考えながら書くとグダグダになるけどそれはそれで。飽きたから終了するけどそれはそれで。